平成26年 少年法改正を求める意見書
平成26年4月8日
私たちの会「少年犯罪被害当事者の会」は平成9年12月に結成しました。
子どもを理不尽な少年の暴力によって殺された親たちを中心に一切の政治や宗教にとらわれることなく、当事者の立場で純粋に少年法の改正を訴えてきました。
私たちの願いは、私たちの子供が味わったような悲劇を繰り返さないようにする事、そして、子どもたちをこれ以上被害者にも加害者にもしない事です。
1 今回の審議対象は検察官関与の範囲の長期3年を超える懲役若しくは禁錮に当たる罪への拡大です。これが1歩前進であることは認めますが、私たちが従来主張してきたこととは必ずしも一致しません。私たちは事実認定の重要さを繰り返し訴えてきました。逆送されるか否かで事実認定の手続きに大差があるわけですが、現行法では家裁の裁量決められるわけです。家裁の審判においても、少なくとも被害者が死亡したり重傷を負ったりした一定の重大事件については、自白事件も含め検察官関与を、家裁の裁量ではなく、原則としてほしいと主張してきたのです。
少年を保護・教育して更生させる・健全育成するというのなら、本当に更生させることのできる制度にする必要があると思っているのです。更生の大前提となるのが適正な事実認定です。事実認定をいい加減にして良いとする理由はどこにもないでしょう。特に人を殺したり傷つけたりした重大事件においては、何をおいても事実を明らかにすることが不可欠です。事件の真相を明らかにする。それは事件を起こした少年に対していかなる処分が必要かを考えるにあたっても必要不可欠なはずですし、被害者の名誉回復や尊厳の維持にも重要なことなのです。何度も申し上げているように、不十分な事実認定は少年の更生にもつながらないばかりか、反する結果にもなるでしょう。実際、少年の再犯率は高いものになっています。私達の会でも、分っているだけで数人の加害者が再犯をしています。
私たち被害者は繰り返し申し上げているとおり、これまで不十分な事実認定のままで行われている少年審判を全く信用してきませんでした。少年に甘いという単純な理由からではありません。きちんと事実認定をしないままで行われる少年審判の後にはいったい何がおきるのでしょうか。少年は本当に反省できるのでしょうか。厳密な事実認定を行わない現行制度のもとで、私たち大人は少年に本当に更生できる環境を与えられているのでしょうか。実際にこういう事がありました。
次女を15歳の少年に殺された母親は、少年審判での不十分な事実認定と少年の主張にどうしても納得できず、少年が社会復帰してきた後で民事調停を起こしました。被害者の母親が民事調停で直接加害少年から聞いた事実は、審判で認定された事実とは全く異なるものでした。審判では被害者自身が、殺された建物に少年を誘いこんだとされていた上、殺害の動機も被害者の言葉にかっとなって、とっさにその場に落ちていた布を拾って首を絞めて殺害したと認定されていましたが、民事調停での少年の自白で、実際には少年が被害者を建物内に誘いこみ、用意した布で首を絞めて殺害していたことがわかったのです。被害者の母親には審判に対する強い不信感が残りました。検察官不在の審判で、加害者側の言い分だけが通ったため、逆送にもならなかったと感じています。調停を起こさなければ分からなかった事実はほかにもあり、理不尽さを感じています。
現在の審判では、このように少年のうそが通ってしまう現実があります。それが少年の更生にとってマイナスであることはあきらかです。社会ではうそは通用しないという基本ルールを少年に教える義務が大人にはあります。厳密な事実認定は被害者のみのためではありません。少年の更生を目的とする少年法の理念のもとにおいても不可欠なはずです。
また、大津での少年のいじめ自殺を発端に、現在いじめ問題がメディアに大きくとりあげられています。いじめは犯罪です。それでもこれまで多くの事件で真相が明らかにされてきませんでした。学校もいじめた側の親もいじめと認識していなかったとか、いじめは存在しなかったとかの繰り返しでした。でも今やっと「大変なことが起きた。それをうやむやにするのではなく、本当は何が起きていたのかを明らかにし、再発を防止する必要がある」という動きが出てきているのだと思います。いじめた側が実際に逮捕されたケースの報道もされています。まさに少年事件なのです。事実を明らかにすることが再発の防止に不可欠だということはいじめの例を見ても明らかでしょう。少なくとも、被害者に死傷の結果を生じたような重大事件などでは、検察官関与のもと、事実認定をする必要があると思います。重大事件において、きちんと事実認定されないということが、そもそもおかしいのです。現在の少年審判は、被害者のみでなく国民の信頼を得られる制度になっているのでしょうか。本当に少年の更生を実現できる制度になっているのでしょうか。検討してください。
2 今回は、国選付添人についても、その範囲が長期3年を超える懲役若しくは禁錮に当たる罪のものに拡大することが検討の対象とされています。私たちは従来、国選付添人制度の対象事件の範囲の拡大については反対していません。身柄を拘束された少年に付添人をつけるのは、その少年の言い分をきちんと聞くために必要でしょう。私たち被害者は少年の言い分を聞かずに審判をしてほしいなどと言うつもりは全くありません。しかし、国選付添人制度の対象事件の範囲を拡大すると、審判の構造としては少年側の人間が1人増えるということにほかなりません。しかも弁護士という専門的な立場の人です。これは私たち被害者から見れば、審判が現行の審判と比較して、さらに少年側の人間のみによって構成されるということです。私たち被害者はこれまでも少年の主張だけを聞いて行われる審判に大きな不信感を抱いてきました。国選付添人の対象事件の範囲の拡大は私たちの不信感をさらに大きくするものです。審判は公正に行われる必要があるのは明かです。元々、少年が何をしたのかを明かにする手続きに少年側の人間しか出席しないという制度は事実誤認を引き起こす危険が大きいものでした。今回の国選付添人制度の対象事件の範囲の拡大はその危険を増大するものです。そのような事態を避けるためにも、国選付添人制度の対象事件の範囲が拡大されるのであれば、付添人がつけられた事件についての事実認定には検察官関与が必要と考えます。
3 適切な事実認定が必要だとしても、必ずしも検察官関与は必要ないという意見もあります。検察官関与に反対する意見です。検察官が審判に出席すると、少年が萎縮して話せなくなるとか、和やかに行われるべき審判制度に反する等の理由が常にあげられます。でも、逆送された事件で実際に少年が何も話せなかったという例が何件あったでしょうか。実際には刑事法廷においてさえ、きちんと話せる少年がほとんどだと思うのです。 検察官が関与したからといって、直ちに審判が和やかでなくなるということにもならないと思います。そもそも重大事件を起こした審判の場なのです。本来厳しい場であるはずなのです。ただし、私たちは厳しい言葉で少年を問いつめて欲しいなどと言っているわけではありません。少年であることに配慮した質問のしかたというのもあるはずです。和やかにという意味はそういうことではないのでしょうか。
4 不定期刑の見直しも求めます。被害者は、犯した罪に見合った適正な処罰というものがあるのではないかと思っています。
犯した罪に見合った適正な処罰を実現してほしいので、有期刑上限の引き上げを望みます。目立った事件が起きたときに法改正が叫ばれることが多いですが、そのとき法律がなければ適応されない。今回の改正で上限を上げることがとても大切です。引き上げたからといってすべての犯罪に適用されるわけではなく、裁判所が公正に判断して罪に見合った適正な運用をすればいいのです。少年の時に罪を犯した受刑者は10代や20代なのでとても大切な時期を長期間拘束すれば社会復帰できないという声があり、矯正教育の問題など、まだまだ足りないところはあると思います。矯正教育の在り方を考えることは必要で大切だと思います。
ただ、絶対に忘れてほしくないことが一つあります。それは、10年や15年、少年刑務所に入る少年がいればその反対側には、命を奪われた被害者がいるということです。私達の会であれば、62歳で命を奪われた方もいますが、13歳から24歳、ほとんどが10代から20代前半に命を奪われています。十何歳で命を奪われて、その後の人生はありません。そんな命を奪ったわけです。命は尊い。地球より重いといいます。それを考えると、10年15年は長いのでしょうか。罪に見合う罰は、厳罰化ではなく適正化です。これまで罪に見合った罰がなかっただけだと思っています。
日本は法治国家です。敵討は許されないのです。私達の話しを聞いたほとんどの人達は「自分だったら相手を殺す。」と言ってくれます。でも実際にはしてはいけません。
私達は、そんな思いを押し殺しながら生きているのです。だから国が、たとえ少年であっても罪に見合った罰は与えていただきたいのです。上限を引き上げることは、罪に見合った罰を与えることができるようにするということですから、とても大事なことです。
大阪地方裁判所堺支部での少年事件の判決で、「無期懲役は選択できないが、現行法の有期刑では不十分だ」と判断されました。これは、とても勇気がある判決文だと思いました。裁判員裁判も始まり,開かれた司法,開かれた裁判所という言葉がよく使われるようになりました。ようやく裁判官の方も勇気を持って,そのような言葉を使えるようになったんだと思います。その勇気を持った判決文の言葉は本当に大事にしていただきたいと思っています。
私たちの苦しみ悲しみは、一生変わりません。でも、国として私達にも加害者と同様の権利を与えてくれたなら、それが、私たちが自分達の力で前を見ながら生きていく力になるでしょう。今回の法案審議が終わっても、引き続き少年事件の実態を見続けていただき、必要に応じて少年法の見直しを行ってほしいです。